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date :2013年03月

  • 2013.03.24(日)
  • 無-8
  • 2013.03.22(金)
  • 無-7
  • 2013.03.22(金)
  • 無-6
  • 2013.03.11(月)
  • 無-4

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無-8

廊下で先生の言うことでは・・
「意識があるのも、あと1日か2日だと思いますよ・・」

その先はわからない・・意識がなくなったとしても
なにも口にしなくても、直ぐ亡くなるわけでもない。
ただお腹の動脈瘤がはじければ。。即死につながる

少しでも長い間ついていよう・・と言っても
お互い仕事もあり、時間のやりくりはつけているが
続けて何日も休めるわけではない。

私も仕事が終わってから来て、なんとなく・・って時は
個室だったからソファーで寝て、朝間に合うように仕事に出る
そんな時も何回かあった。
その前も泊まったのと、夕方いちみりが「インフルになった」
連絡が入ったため家に帰るつもりだった。

お兄ちゃんに連絡して、いちみりを頼み泊まることにする。

姉もぎりぎりまでいる事とし、とりあえずご飯を食べよう・・。

薄情かと思われるが、そこまで切迫した状態とも思えず
「少しご飯食べてくるわ。」と言ったところ
手をあげ待てとばかりに。。。「みず~」

はいはい、とベットをあげ吸い飲みで ひとくち、ふたくち・・みくち
少しむせる。

いつもみくち目に少しむせ、咳をする・・数日わかっていたことだけど
もっと飲みたいの要求もいつもの事でみくちまで。。が定番となっていた。

だけど、咳だした。。あと、息が浅くなった。
チューブを使ってもらったが、なにもでるものもなく
食事どころでなく。。。見守った。
そんな時 意識がなくなるかもと姉が呼んだ 姪っ子たちが来た。

みんなでメイメイ声をかけながら、それでも 数値的に悪くなることもなく
息苦しそうな感じながら、目もしっかりしてるので
次の日の仕事のある姪っ子たちを送りがてら、まだの晩御飯の
弁当を買いにでた。

弁当屋で姪っ子に姉から電話「今 どこにいるの?」「弁当屋」
それ以上は何も言わなかったらしいけど、早く帰らないと・・

急いで車を走らせてると再度 電話
「今 どこにいるの?」「○○のへん」ブチッ

こりゃあかん・・・焦って駐車場に止め 走りかけて
車に忘れ物に気づき、姪っ子たちに先にいかせ
一歩出遅れた分、エレベーターは当然上の階にいるわけで
階段をかけあがり部屋につくと・・

「ばぁちゃん、○○きたよ」「ずっと待ってたよ」と・・

「待っててくれた。。ありがとう。
 もういいよ、もう頑張らなくていいよ」
そう声をかけながら 顔にふれ 頭をなで
一分もあっただろうか・・・息をひきとった。

弁当屋に電話があった頃から 息が弱くなり
ずっと姉が 「○○子が戻るまで 逝ったらだめだよ」
「ちゃんと息して、吸ってはいて」
最後には 「口をあぶあぶしなさい」(子供相手の仕事なんで、そんな言葉がでるのであろう)

それでも、言われると母は口をぱくぱくさせた。
鼻からの酸素があったので、そのぱくぱくだけでも
酸素がいっていたのであろう。

まったく、最後の最後まで頑張った母で、最期の最後まで
手間をかけさせる娘であった。

誤嚥から。。なんだという思いはあります
もしお水を飲ませてなかったら。。。(私が飲ませた)

でも、その前から姉と決めていたことは
誤嚥したとしても、飲みたいと言えば飲ませたい。
(どんな形であれ、そんなに長くもたないことはわかってたので)

そして、たぶん(勝手な推測といわれるかもしれませんが)
母が自分でその時を選んだのかもしれない・・と。

姉は励ます意味もあるし、どうしてもはずせない仕事が或る時には
この日はどうしても出ないといけないから、しっかりしてるんだよ。。
なんて声をかけ、母も姉の仕事を理解してたし
(現にその日の午前中は姉が抜けたら大変だったらしく
 通夜に来てくれた人たちが ありがとうございましたと祈らせてもらったと(笑)

そして、姉もいて、私もいて孫たちもいて(全部じゃないけど)
入退院を繰り返しだして,2年弱。

思うように動けなくなってからだと3年・・・位かな。

とても痩せてしまったけど、亡くなってからの顔は
元の色白の母に戻り、とても穏やかな ほんとに眠ってるような
顔に戻りました。

私は一旦家に戻ったので立ち会えませんでしたが
湯かんの時の顔は、ほんとに気持ちよさそうだったと。


昨日忌明け法要まで済ませました。
1月から3月・・・仕事の忙しい時期とも重なり
何がなんだか・・で、あっという間に過ぎました。

それでも、どちらも80年の生きてきた。。その後の整理。
親戚がらみも含め、まだ動かないといけないこともそれぞれあり

。。。ですね。

覚書をこんなところに・・ってのも失礼かと思いますが
自分の気持ちの整理も含めってことですみませんねぇ

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無-7

頭がはっきりしてないと水も飲めないんだよ。
一番怖いのは誤嚥である。
そう言われてまたまた頑張る母である。

夕方病院に行ったら「ちょうどいいところに来た」
ん?
看護士さんが、お水を飲ませてくれるところであった。
姉が子供に言うように「ゆっくり口にふくんで、舌を上につけて・・」
量にしたらほんの何CC??ってくらいの水をゴックンと飲む。

10日間 飲まず食わず。。。かなり痩せました。
それでも飲みたいときにお水が飲めるというだけで嬉しい。

少しはご飯も食べられるようになり
先が読めないね~と、姉と言い続けてきた。


お腹をみると 骨盤がくっきり形がわかる
そのまんなかに固い突起と 人工肛門・・・なに???

人工肛門にした時の残った腸と思っていたら
動脈瘤であることが判明
先生曰く これがはじけたら・・・・次から次に・・・です。
ここまで何度もいい方に転んできただけに
これにはかなり姉はショックだったようである。
私たちの言い続けてきたことはずっとひとつで
苦しんで最期を迎えることだけは無しとしたい。

これまでの長い人生 かなりの時間痛みと闘ってきた人である
せめて最期は・・の願い

痩せて骨でしかなくなった体は、どんな風にしてても
痛い。。病める。。
痛み止めをお願いしても 効いているのは2時間ほど。
おろかな姉妹は先生にお願いする。

もっと長く効く痛み止めとかモルヒネとか使えないか。。と。

それは麻薬であるから癌患者にしか使えません・・と。
そりゃそうかも もちろん母だって辛いだろうが
癌の人の激痛を見てる先生にしてみたら、これくらい・・
の程度なのであろう。

こういう場合は意識がなくなるように
するしかない・・・と。

実は痛がる母をみてもらおうと先生を呼んで話してたので
母はちゃんと聞いてるわけで、首を横にふりました。
そりゃ・・・痛いのもいやだけど、意識がなくなったら嫌だよね。

部屋をでていく先生が ドアからそっと手招きをした、

無-6

そして旦那がインフルってことで
潜伏期間もあるだろうから、移ってないと確信できるまで
見舞いは行けないからと言っていたところで 義父の死

母には知らせないまま、葬式を済ませ
私が顔を出さないのは、インフル予防の為と思っただろう。
やはり弱ってるところに、あまりショックはあたえたくなかった。

翌週見舞いに顔を出すと、口数は少なくなったものの
相変わらずのマイペースの母がいた。

自分でリモコンを使うのもさすがに億劫になったようで
氷川清のDVDも自分から見ることもなくなり

動かない左足のしびれもひどくなってきた。

姉がスマホみたいな(未だになんてものがわからないが)
音楽を聴けるものに、ありったけのきよしの曲をいれ
好きな時に聴けるよう枕もとで聞かせてた。

で、安定してくると、そこは病院で退院の話になる。
自宅ではもはや24時間 誰かがそばにいなければ無理である。

なによりもう少し安定するまでは、医療機関で 看護士さんの目がないと・・
本来なら受け入れ拒否されるだろうと思った前回のリハビリ病院が
また受け入れてくれることになった。

母も知らないところでない分嬉しかったようで
この毛布とバスタオルはこれで・・指示をだし
お風呂をとても楽しみにしていたのだろう。

「また来るからね。」と言えば 必ず「気を付けて帰るんだよ」
そんな会話を普通にしてた翌日、また姉から連絡

意識レベルが低下してる・・と。
たぶん再度脳梗塞を起こしたのであろう
口をあけ いびきをかいて寝てる母がいた。

その週には転院が決まっていたので、自分で無意識に拒否したのかも
・・と姉と話す。
その移動が無事できるか、ひとつの不安ではあった

またしても、叔母に声をかけ
それでも一日、一日反応するようになり
目が開いたと言って喜び、手が動いたといって喜び
夕方からの母の部屋はとても賑やかになった。

仕事が終わってから車で行けば、やはり仕事が終わったものから
わらわらと集まってくる
姉に私に孫に姪っ子に・・・。

あれこれ話しかけ、きよしを聞かせ、声をだすのはなかなかだけど
問いかけにはうなずいて返事をし
口呼吸の為からからになっても、水もまだ飲めず
ついに言った言葉が
「みず~~」
まったく逞しい母である。

無-5.

一時期は膿を抜くための管と袋が付き
身体からみっつの袋をつなげることとなったが
これも無事成功。
それでも体力も落ち、とにかく食べたいものを食べさせることを
重要視し、食べたいと言えば姉が走り回ってでも買ってきた。

一度にたくさん食べられないので
ちいさなせんべいを口に含んでたり
栄養価を考えプリンを食べていたんだけど・・

12月に胃拡張となり、お腹がぱんぱんになった。
鼻からチューブを通し胃液をだす処置をしていたら
・・・・脈拍200・・・・・
先生から呼び出され 「逢わせたい人がいたら・・・」

ピーピー鳴りっぱなしのアラームの中で
とりあえず、一番近く妹である叔母と従妹に
軽い感じで「時間があったら顔をだしてやってね」と連絡

そして。。数時間である程度までは落ち着き
三日ほどで管がはずれるまでに回復
この時点でも 先生は「すごい生命力だ」と一言。

また一週間ほど飲まず、食わずで過ごしたので、さらに痩せ
水分から始まり、またやわらかいご飯なら食べられるようになった。

そして年が明け、80歳の誕生日を迎える。
昔の子宮がんから46年。
自分でも80まで生きられるとも思ってなかっただろう。
お誕生日にはケーキを少し、姉が食べさせてくれた。


無-4

ストマ、バルーン装着の身となり
個室に3か月ほど入院。
主治医もよくもったね・・と言われるほど
手術的にも危ないものであったようで
一度目は全身麻酔であるってことで、ついでに心臓のカテーテル検査も
手術中にしてもらったが血栓が見つかり
その時点でかなり慌てたのであろう
ちゃちゃっとしたから2度もする羽目になったわけですが・・

その後、家に帰りたいとの希望を聞くには
日中一人になる時間も多いし、姉も仕事があるので
夜中に何度もストマを捨てる時間ももてず
やはりある程度自分でできるようにする為、再度リハビリ病院に入院。

頭と口はしっかり、手も動くので自分で座ってストマの中身を捨てる
ってことはできるようになり退院。

自分にあう、家の中でも使える車椅子を用意して
電動ベットも用意してベットから冷蔵庫も手が届き
半身起こして氷川きよしを見れるようセッティング

デイサービスとショウトステイを利用して、空いた日は
仕事を休んで私が日中顔を出す・・ってことで
家で過ごすこと2週間ちょい。。。熱がでた。

リハビリ病院での規則正しい生活、食事も
家に出たら甘えが出るから好きなようにしか動かない
そんなことも原因かもしれないが
かかりつけの医者に点滴に通ったが、熱も下がらず
なによりバルーンの中の尿のにごりが尋常ではなく
結局救急車で運んでもらい病院でみてもらう。

。。。。めんどくさくなったので、はしょり

働いてない方の腎臓に膿が溜まってるらしく、針を刺して抜くか・・
と言われたが点滴がきいたので、再度リハビリ病院。
ひとつあるごとに一週間も寝込めば、さらにできることが
減っていく。
その時は車椅子に座ると、失神する頻度が増えたため
起きていられるようリハビリ・・
(3度目とはいえ よく受けてくれたものだと
 ありがたい限りです)

。。が、2週間ほどで、熱の為病院に逆戻り
結局 腎臓の膿をとらないのがアダとなり
再度針をさして抜くことに・・・
この時で2度目の 覚悟を宣告される。

覚書といっても約2年弱・・疲れたかも。

無ー3

毎年恒例 一年で一番多忙な日々を過ごしております。
今年は仕事を空けた時間が多かったので、さらに・・です。
さすがにお疲れ度満載です。

実家の母は、一昨年5月の脳梗塞からリハビリ病院に転院して
家の中で小さなカートを押しながら自宅で療養

次に意識を失うことが多くなり病院に運ばれ
心臓の不整脈と言われましたが、治療は見合わせ(本人の希望から)退院
この時点で尿意の感覚がわからず、排尿がうまくできないので
常時バルーン装着となる。
(45年前の放射線治療のため、腎臓が片側のみ機能)

お腹の激痛を訴え、救急車で運ばれ
これまた放射線治療の影響で、腸が癒着しているため
排便の困難も数十年ひきずってきていたが
輸尿管(膀胱に尿を運ぶ部分)と腸が癒着して
便が膀胱に流れていた。

これはバルーンを装着していたのが幸いして見つけてもらえた。

ありえないと言うことと、高齢、心臓の不整脈、外科の医師が
乗り気でないところを、救急で見てくれた女医さんが説得してくれ
リスクが大きいことをふまえ最終決断を家族に任され。。手術。

小腸からの人工肛門をつけることとなった。
便意による腹痛がなくなったのはよかったが
大腸までいかないので、栄養の吸収が悪くなる

さらに入院中に再度人工肛門の手術。
一度目は途中で心臓の血栓が見つかったため
ちゃちゃっと終わられたようで、あまりいい部位での接続ではなかったようだ。

部分的に壊死して、このままでは腸が落ちてしまうかも。。と
再度の手術となった。

今度はしっかりいい部位でいい形の人工肛門となった。

(長くてすんませんが、覚書ってことで)

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